その頃、現世では遼子が動いていた。あるビルにある本部に足を運んでいた。
「これは、薬居殿。何用で」
「ここから、手を引け」
 さもなくばこの世界が死ぬぞと脅迫じみた空絵事のようなことを言う遼子に本部の担当
者はけたけたと笑った。
「そんな、ありえるはずないじゃないですか。たかが妖を殺したばかりで」
 妖の里の影響かは知らないが、祠を暴かれた日以来、現世では雨が降り続いていた。日
にちにして、もう一ヶ月以上。秋の長雨といえるような気もするが、その中にかすかな妖
気とにごった神気が感じられるのが異常なのだ。
「雨で感じられないのか? このままでは現世も穢れてしまうぞ」
 なんとなく、遼子には思惑がわかってきた。このまま現世を穢れさせて行くのが狙いだ。
 現世には陽の気。異界、常世には陰の気が渦巻いている。人は、陽のあるところで生活
し、妖は陰の気があるところで生活する。それが常だ。互いに干渉しあいながら世界を成
り立たしてある。干渉というのは人が常世で生活したり、妖が現世で生活したり、術者と
して、常世で活動したりといろいろ干渉をしている。その干渉の度合いが今、崩れてきて
いるといえる。陽の世界である現世を穢すように雨が降り続いている。太陽ももう一月顔
を見せていない。太陽の光で浄化されるはずの陰の気もこの世に渦巻いている。このまま
では人の世で大きなことが起きる。
 人側は、それを妖側のせいだろ決め付けている連中も多い。実際には各妖の村にあった
祠の玉を破壊され現世と常世の楔が緩くなっている為にあちら側の陰の気がこちらに渦巻
いてきているのだ。
「白空の思惑にはまるぞ」
「なんで、今白空が出てくるんですか? 薬居さん。そうそう、藺藤の子はどっか逃げま
したよ。これで決定的ですね」
 飄々とした担当の面に拳を叩き込みたいと思いつつもそれをこらえて押し殺した声で遼
子は告げる。
「お前たちが誤解されるような事をしているからだろう。任意同行ならば彼らも従う。お
前たちがやっているのはただの賞金首だろう」
「だって、各地の祠を暴いた重罪犯ですよ?」
「お前たちはなぜ決め付けている?」
 だってそりゃ、ねえ、と言葉を濁した担当を押しのけて本部の奥に入り重々しい扉を開
き革張りの椅子に体をうずめた、ここの責任者である若いなりをしたスーツ姿の青年と対
峙した。
「だめですよ、薬居さん」
「だまれ」
 スーツ姿の男は低く、告げた。担当はあわわとおとなしく引き下がって部屋の外に出た。遼子は深く溜め息を吐いて見据えた。
「貴方がそう馬鹿な事をすると思ってたんですが、どういうことですか?」
 厳しい口調で、遼子が言った。彼こそが、遼子や月夜、夕香などが所属する宗天会の責
任者であり、会長でもある、日比谷薫その人だ。遼子よりは若いがそれも百歳二百歳単位
のことだ。何の血を継いでいるかも知らないが天狐とも古代の神の血を継ぐとも言われて
いるなぞ多き青年だ。
「私の命ではない」
 言葉少なげに彼は言うと胸ポケットからタバコを取り出しマッチもライターもつけずに
火をつけ吸った。
「では、どういうことなのですか?」
 その問に彼は静かにタバコを吸った。彼は何かを考えるように目を閉じている。重い静
寂がのしかかる。その中で遼子はじっと待った。
「なんともいえないというのが、本音だ」
「責任はどうなんですか?」
「これから死にに行く君に言われた義理はないな」
 その言葉に息を詰めゆっくりとその息を吐くと目を伏せた。
「私の命ではないんだ。取り下げる事もできるが、白空と言う証拠がない以上、取り下げ
させるのは不可能に近い」
 と、その言葉を待っていたように遼子は一つの紙を彼に投げた。鋭く放たれた紙を造作
なく人差し指と中指ですっと取ると彼は眉を寄せ遼子を見入った。中身を見たらしい彼の
表情を見て遼子はにやりと笑った。
「これで、取り下げられるでしょう」
 驚いた表情を消し、彼はタバコを深くふかすと音もなく立ち上がった。
「一月にも上る間行方をくらませていた理由は、これか」
「ええ。吾子を助けるためです。貴方も、そうじゃありませんか?」
 怪しげな笑みを浮かべる遼子に舌打ちをして、せっせと式神でそろえておいた証拠のダ
ンボールを使い魔である人形の朱雀に担がせ外に出て行った。
「全く、狐が情に厚いというのは本当だな」
 溜め息混じりにつぶやく彼に朱雀はぼそりと漏らした言葉が聞こえなかったのは確実だ。
「貴方もでしょう……」


←BACK                                   NEXT⇒